いいちこ誌 破魔弓
破魔弓遊び写真
新春男児五歳以上十二歳迄の者に弓矢を贈り,手製の弓矢で空にむけ放った。

写真の円形は藤蔓やわら縄を丸めこれを破魔と名ずけ二手にわかれ交互に射る

的中すると大きく歓声をあげ東軍西軍の指揮者は一層勝敗にこだわる。

負けると顔に黒く塗られたりして子供達も真剣勝負で的中率を向上させた。
概  要
掲載文を要約
文化年間 屋代弘賢(やしろひろかた)大人諸国の風俗を書き集めてこれを一書に
編集せんと欲し其照会状を各地に発送せられしことあり.即ち来其需に応じ屋代大
人へ封し文化十五年の春答書せし備後沼隈郡山南郷及其近村正月児童破魔弓の
事をここに報す。

新春児童の嬉戯各地慣習を存す。 吾備後沼隈郡山南及び其近村の戸々男児五
六歳以上十二歳迄の者に歳末縁故より弓矢を贈るもあり。 多くは児輩自らの製に
かかり弱い牽力のものとし弓矢共に装飾を施さす。

強き割竹を用い長三尺許綿弓の弦をかけ矢は筈のところより割り、雉子の羽等を挿
み羽は両出のみ矢の根はかりまたを用ふ。 何れも鍛冶年末に製し鬻ぐ所なり。 次に
紺のそめをもて矢の根をてんねうす。 或は煙管の廃をとり其吸口をきりえを根巻とする
もあり。

新春携えて野外に放ち或は雲埒とて空にむけ高く矢を天に朝せしむる等の戯をなす。
又一種の遊戯にして趣味のあるあり。

山南郷には藤蔓を円く平たく盆様に円め之を破魔と名づけ(他の近村の用は藁縄をも
て輪をなすなり)数十の郡児両部に分かれ数十歩の距離を隔て東西斜めに相対し一群
入りくんだ山を背にして勢を張れば一方奮進の勇を鼓し各々亭主といふを置き亭主指
揮を下し東群破魔を取りて数歩外に投げころころころび此時早く彼時早く西隊に列満々
と引きたる弓のねらいを定めて一度に放つ。


其矢少しも誤たず根深に立つなれば其群れどっと歓声を放ち此に西部は勝ちを得て更
に東軍に向ひて己が立つ位置より数歩(約束あり)の距離を破魔の反対の方向に取り
遠く破魔を隔てて其所より破魔を射て返矢せよと要求す。


此に東軍新位置に排列し弓矢を取り破魔を射る。 是勝敗の決するところ射てよく
中るは輸累は五分になりなん。 されと射たる矢の破魔を横にそむけるなら是ぞ味
方の負となるへし。 此に一つの希望あり。

もしも射たる矢刀の破魔に中りたる余勇を以って先の西部に立ちし矢のまんまと脱け
ることもあれば夫弧こぞ敵方の大恥辱にて勝は全く味方に帰するなり。

斯くも勝敗決して一度負しを一俵といひ二度を二俵といひ三度を三俵といひ敗五俵に
及へば子取と呼て敵手の子一人或は二人を勝方へ取るなり。七俵勝ては頭摩りと呼び
て破魔を取り敵手亭主の額へ墨塗るなり。


十俵の負は最後敗北と敵手亭主を捕へ野にある厠の臭を拝み嗅かしむるをもて終わ
とす。 歳末の東京の下町、羽子板のあでやかさに気圧されるように、ガラスケース入
りの破魔弓がならぶ。女の子の羽子板にたいする男の子のものは、凧でもコマでもなく
、実はこの破魔弓である。

破魔弓というと,すぐに初詣の時の破魔矢が思いうかぶ。 破魔弓は魔除けの意味で
神社ではかなり古くから用いられており,初詣には矢だけがのこった。


江戸時代には武家や町人の間で男の子の初正月の祝いに破魔弓を飾る習慣が生まれた。
破魔弓のルーツ
いいちこ誌 破魔弓のルーツ
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