いいちこ誌 破魔弓
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掲載文を要約
羽子板は古くより婦女子の初春もてあそぶ物ながら其始め詳らからず。下学集(文安
元年の書)に羽子板正月用之とあり。

又世諺問答(一条摂政兼冬公天文十三年の年に)問て云をさなき童のこきのこといひ
てつき侍るはいかなる事ぞや答へこれはをさなき者の蚊にくはれぬまじなひごとなり。
 
秋のはしめの蜻蛉といふ虫出きては蚊をとりくふものなり。 こきのこといふは木蓮子な
どをとんぼうかしらにしてはねをつけたり。 これを板にてつきあくれはおつれはとんぼか
へりのようなり。 

さて蚊をおそれしめんかためにこきの子とてつき侍るなり。 去れは昔羽子板と云はすし
てこきいたと呼ひしものか其様に今とは異りしものと見えて骨董集に私可多咄(万治二年
印本を引きて田舎人京のほりして公卿の持ち給ふ勺を見て羽子板にやあらんと云ひし笑
語を載たり。

 これによりて古制の羽子板は勺に似たらん(中略)三春羽子板といふと見る
にいかにも勺に似たれは其古制なこりなるを知りと同書に三春羽子板信濃羽子板の図あり。
 末に複写して出す此図解に裏には立波に鶴をいかにも粗造にえかきたり。 木地に胡粉を
ぬり墨丹緑青等にていろとれりと見る。 

胸算用江戸の事をいふ処十二月十五日より通り町の繁昌云々正月のけしき京羽子板玉ふ
りふり細工に金銀をちりはめ云々とあれは富時より次第に美麗を極めたるものかなほ委しく
は嬉遊笑覧貞丈記歳時記等の書に就いて見るへし

これ奥州三春にいにしへより伝えたる古製なるよし製作質素にしておのつから古雅なりとあ
り。」(高橋おろか「羽子板」、明治二十四年一月十日号)

お正月に羽子板の羽をつく‘カチカチ‘という音を、聞かなくなってどのくらいだろう。墨でまっ
黒にぬられた顔も見ることがない。

そもそもなぜ、お正月に羽子板、なのだろう。 東京・両国で羽子板をつくる野口清市さんに
聞くと、「それは、蚊に喰われないためですよ」と事もなげにいう。羽子板と蚊?意外な取り合
せに面くらう。

羽子板の羽根は、蚊をはじめとする害虫を食べてくれるトンボを意味するのだそうだ。
 羽根=トンボを高くとばし、害虫から悪い病気が移らぬよう、邪気をはねのけるとい
う縁起がこめられている。

女の子の初正月に羽子板を贈る習わしは、室町時代にはじまった。 歳の市で臼や杵などの
正月用品とともに売られていたが、

毎年十二月半ばに浅草寺でおこなわれる「羽子板市」がはじまったのは万治二年(一六五九年)。
花鳥風月や殿上人、左義長(悪魔を払う正月の儀式)を描いた羽子板は、江戸時代後期、歌舞伎の興隆とともに、役者絵を押絵を用いて取りつけるようになり、現在にいたる。


話をしながらも、野口さんは手を休めることはない。 代々伝わる下絵、新しく絵師に描いても
らった下絵をもとに、デザインを考えながらひとつひとつ、台紙に絹をはる。

一日にせいぜいニ、三本。羽子板市に売りに出される羽子板は数万本で、収集家ほど男ものを好むというのもおもしろい
羽子板のルーツ
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浅草寺羽子板市写真
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